2005/01/27/楪城跡

楪城跡への山道

山頂の楪城跡

楪城跡からの景色

キツネ

今朝悪夢を見ました。有刺鉄線に、はさまれて身動きがとれなくなり、何者かにバレーボールをぶつけられつづけるというもの。よくわかりません。そんな悪夢の中、妹に起こされました。「そんな化け物を見るような目でみないでよ。」と言われてしまいました。こんな状態で起こされちゃあ、しかたがないです。妹も仕事が休みでヒマだったようです。祖母と三人で外で昼食をとることにして、一緒に出かけてきました。その後、妹が去ったあとに先日見付けた楪城跡へ行ってきました。行ってみると、今は登山道になっているようで山の奥のほうまで道が続いておりました。とりあえず車を麓に停めて、昨日購入した自転車で登りはじめたんだけど、こう配がしだいにはげしくなり、自転車からおり、押しながら登ってゆきました。舗装はしてあったけど、道が狭かったんで、出会い頭を恐れて車を置いてきたんだけど、ちっとも車なんて通りゃしねぇ。それでも舗装してあるのは途中まででした。城郭のある山頂近くはまさに山道。でも最近、道がキレイに整えられた形跡がありました。山頂の本丸跡まで行ってわかったんだけど、どうも最近、『楪城跡を守る会』なんてものができたようで、つい昨日にでも切り倒されたばかりのような切り株が沢山ありました。典型的山城なんで本丸跡はかなり高所の山頂。しかも、傾斜はかなりのもので登るのはきつかったけども、眺めは格別でした。三の丸跡を見物していると、面白いものに遭遇してしまいました。キツネです。やっぱこの辺はいるんですねぇ。ツガイだったのか、二匹いたんですが、一匹は早々に逃走。残された一匹はじっとこっちを見つめていて、数分間はにらみ合いになってしまいました。その後、居残りキツネも去ってったんだけど、ふと怖くなってしまいました。キツネがいるということは、熊、猿なんぞも…。そう思ったとたん自転車で急勾配を転がり下り、麓の車で即効で撤収しました。いい運動になりました。しかし、それにしても想像以上の城郭でした。なんでも、備中では備中松山城の次の規模だったそうです。もとは鎌倉末期に新見氏が築いたもので、その時に本丸。後に新見氏を追い、入城した三村氏のときに二の丸、三の丸が築かれたそうな。この三村氏も後に毛利の侵攻で追われ、毛利(一門の吉川だったかも?)の城代が置かれていたらしいけど、その後に関ヶ原で西方についていた毛利方の楪城は廃城となったそうです。夏場は結構いいハイキングコースになると思う。冬は寒い…。
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